毒親と境界性パーソナリティ障害
最近、再び精神が不安定になって死にたくてしょうがない苦しさに飲み込まれそうだった。けど、苦しい中でも、自分の良くない思考パターンを冷静に客観視したり、認知のゆがみを認識して修正したり、無理ない範囲で、でもちゃんと自分自身でコントロールすることに努めた。
そうした結果、アップダウンの繰り返しを経つつもかなり安定してきた。
そして、今回のメンブレの中で気づいたことがあったので忘れないために書く。
今までに感じたことも含めて、更新してく中で頭の中を整理できたらとも思ってる。
まず、前通っていた心療内科では、おそらく”境界性パーソナリティ障害”(以下BPD)だと言われていた。けど、そう判断が変化したのは割とつい最近の事で、それまでの期間は「双極性障害」という、そのさらに前に通院していた精神科の診断結果をもとに治療をしていた。
私は小学三年生の頃に起立性調節障害を発症し、それから小学五年生ごろまで不登校と保健室登校を繰り返していた。
この時期のことはあんまり思い出したくないし、なんとなく記憶がぼやっとしている。
けれども、BPDの場合は自分の成育歴に焦点を当てることによって自己理解が深まると思うから、自分が病気を克服して自立するためにある程度は思い返している。
このころ、母親の機嫌が悪くなるとひたすらごめんなさいを泣きながら連呼して、なんとかして母親の機嫌を取らなきゃと必死だった。
そして自分より母親のことをいつも心配していた印象がある。
今思うと、母親の機嫌=自分の機嫌
のような思考をしていたのかなと思う。悪い意味合いの強いリンクの仕方をしていた気がする。
自分の感情をコントロールすることが、母親の機嫌を取ることでしかできなかったんだと思う。
正直ちっちゃい子に一人で考えろって言っても酷な話だとは思う。
今でも人の機嫌で自分の気持ちが大きく左右されることは多くあってめちゃくちゃしんどいけど、その都度その都度でワンクッション置いて冷静にとらえなおすようにして対処している。
書きたいことがごちゃごちゃしてきたからまた時間を空けて書こう。
同じ境界性パーソナリティ障害の方は、
とんでもなく辛い思い・不安を抱えてきて、今もそれを抱えながら、今日を生きていると思います。本当に頑張ってると思いますし、言葉で表しきれないくらい偉いです。
そんな不安の霧の中にいる者同士、一緒に戦っていきましょう。絶対大丈夫。